よりみち

サンタがやってきた!

本当に来たんです。

24日の夕方、温かい贈り物とカンパのお金が届きました。

まっくろくろすけで一緒に研修を受けたSさん、ありがとうございます!

来年は、先輩スクールから講師を招いて、

盛岡で講演会を開催し、多くの方にデモクラティックスクールを

知っていただいたり、

ひいては激変する社会の中での、学び、育ち、生き方、について

共に考える場をつくりたいと思っていましたので、

有効に活用させていただきます!

何より、遠くからも見守り、応援してくださる方がいることを、

とても嬉しく、有り難く、そして心強く思いました。

感謝☆です。

ナチュラル・ラーニング~長男Sの場合~

我が家の長男は6歳。普通の小学校へは行かず、今は自宅で過ごすホームスクーラーです。(デモクラティックスクールができたら、そちらへ行くことを希望しています。)

「勉強はどうやって教えているんですか」と聞かれることがあるのですが、デモクラティックスクールの理念と同様、本人の自発性を尊重しています。聞かれれば、分かる範囲で教え、分からないときは図書館で本を探して調べることもあります。彼の場合、自転車もスキーもそうだったように、自分で納得しながら身に着けるのが好きなようで、最初から教えられることは好まず、むしろ拒否します。

数や計算は普段の暮らしの中で、学んでいるようです。時計やカレンダーは身近な教材でもあり、そして料理の手伝いが好きなので、「小さじ3分の1」など、分数も自然に出てきます。計算への興味は、おじいちゃんから電卓の使い方を教わったことがきっかけで、「問題出して~」「〇足す×は?」と足し算にはまったことがありました。もちろん、一ケタから大きな数までおかまいなしです。位の名称に興味を持ったこともあり、図書館で本を探して、名前がついている一番大きな位が「無量大数」だと知りました。

文字は、おばあちゃんやおばちゃんが手紙をくれるので、返事を書きたくて少しずつ覚えています。50音表をみたり、父母に聞いて、でも、見てると書き順はめちゃくちゃだったりします。書き始めたのは数字やアルファベットが先で、書きやすかったのか、カッコイイと思っていたようです。大好きな「アミ」の本の表紙を写したり、ラジカセやカメラの表示を写したり、も文字の練習になっているようです。

ここまでは、私が既存の「学習」「勉強」の枠から見た学びの姿に近いものですが、我が子ながら、時々「宇宙人かも?」と思う瞬間があります。

例えば、朝ごはんを食べながら「最初に言葉を覚えた人はどうやって勉強したんだろう?」と問われた時。父親は「Hくん(1歳の弟)みたいに、アーとかウーとか言ってたんじゃないか?」と笑っていましたが、つまり、言語がどのように生まれたか、という深い問いであって、彼がそんな発想を持ったことに私は驚きました。

もう一つは、やはり食事のとき、「月食って、月からみたら日食だよね。月ではそんな風には言わないだろうけど・・・。」と言われ、私は一瞬考え、(月→地球→太陽・・・だから月に人がいたら、太陽が地球の影に入るから)、「そ、そうだね。」とようやく返事ができました。「そんな風に考えたことなかったよ。何で~?すごいね~。」と、本当に驚いたので正直に言いました。一時期、宇宙に興味を持って、図鑑を読んでもらっていたので、日食月食のことも知っていたのでしょうが、父親に話すと「きっとその瞬間、Sは月に行ってたんだよ~」とやはり笑っていました。

一人一人に固有の学びのスタイルやプロセスがあって、私は今、たまたま長男の学びの一部を見ているに過ぎないし(見えない部分の方が多いでしょうし)、スクールの年齢ミックスの中での学びは、また違った、ダイナミックな形で現れるのかもしれません。

それでも、本人の関心から出発する学びには興味深いことが沢山あり、私たちは今、大人も、子どもも、道なき道、新しい道を歩んでいるのかもしれません。

母ちゃんパワーで行こう

第4回の勉強会も無事終了しました。今回も遠くから参加してくださったみなさま、ありがとうございました。

予感はあったものの、予想外の方向でこれまでとは全く違う雰囲気の集まりとなり、次の展開への大きなヒントとなりました。

参加者は5組。うち家族参加が3組でしたが、いずれもお父さんたちは子ども対応をしてくださり、勉強会の席は、全員女性・お母さんという顔ぶれでした。そこでは「実際に子どもを学校に入れてみて、軍隊みたいだと思った。」「『静かに』とか『整列』とか言葉すら使わないで、『1,2,3』の掛け声で子どもを静かに並ばせるってどうかと思う。」という、既存の学校への違和感に始まり、お母さんの視点での様々な本音が出され、刺激的なシェアリングの場となりました。

子どもたちを産み育て、日々、葛藤しながらも、しなやかにたくましく生きているお母さんたち。そして、学校・教育制度を含めて、理屈だけでなく、本能的な部分で「何かおかしいよね」という、違和感を大切に、それを具体的な行動・形にしていく「デモクラティックスクール」でもあるのかな・・・と思いました。

次は、週末に開催し、普段、幼稚園や学校へ行っている子どもたちも参加できる、「体験スクール」の企画をしていきたいと思います。スタッフとしてサポートしてくださる方を募集しています。是非、ご連絡ください。

震災後のいま

3月20日に予定していた第2回の設立準備会に向けて、規約づくりなどの資料を取りまとめようと作業をしていた矢先、3.11の大震災、そして原発事故が起こりました。心も大きく揺れ、ガソリンを含めた物流が止まり、一瞬、先が見えなくなりました。子どもたちを屋外に出せなくなりました。スクールも、野外での青空スクールとしてプレオープンすることを考えていたので、放射能汚染が落ち着くまで、活動も見合わせなければならないと思いました。

それでも、前へ進もう。そう思えるようになったのが震災・事故後1か月たった頃。

そして今、スクール設立に向けた活動の意義を、次のように感じています。

1.誰もが、イキイキと、幸せに生きる社会を、今ここから創る

 地震や津波で、一瞬にして生命や全てのものを失った方々がいます。停電や断水も広い範囲で起こりました。その中で、私たちは、生きて在ることの奇跡、当たり前のように過ごしてきた日常がいかに幸せで有り難いものだったかを思い知りました。大事なのは生きること。できれば、響き合える仲間とつながって、共に生きること。

 また、大震災は、地球が、この惑星を暗雲のように取り巻く不安、恐れ、怒り、苦痛・・・を振り払うかのごとく起こったようにも思えてなりません。競争や強制に基づく教育が、深く深く私たちの心を縛り、自由に、のびのびと、イキイキと生きることを阻む足かせになっていることを深刻に受け止めています。

 デモクラティックスクールに、強制はありません。不安や恐怖に基づく教育ではなく、愛と信頼に基づく教育を目指しています。一人ひとりが、自分を十分に発揮できる自由と時間を守ります。

 デモクラティックスクールに、カリキュラムやテスト、予め答えが用意された学びはありません。「遊び」をベースにしたダイナミックな、答えや終わりのない生きた学びは、例え天変地異の大変化の中でも、たくましく生きる力を与えてくれるものと信じています。

 誰もが、イキイキと、幸せに生きる社会を、私たちのスクール「翼」から実践し、実現していきたいと思います。

2.すべてをつまびらかにし、一人一人が対等に参加できる話し合いと合意に基づく社会を、今ここから創る

 原発事故への政府や企業、そして、教育現場の対応を見て、私たちの社会の未熟さを改めて痛感しました。なかなか情報が明らかにされない。子どもたちの生命の安全を左右するような大事な事項について、いつ、どこで、誰が、どのようにして決定したのかもはっきり分からない。責任の所在も不明確。大多数の人々も、政府やマスコミの情報を信じ、「安全」だと思い込まされているか、漠然とした「不安」や「不信」を抱えながらも、暴動を起こすこともなく日常を過ごしている。

 教育の現場においても、本質が露呈したように感じます。一番大事なのは目の前の子どもたち。子どもの生命、健康、安全、であるはず。でも、教育・学校関係者にとって、一番大事なのは違うものだったようです。(もちろん、個々の現場で良心的に頑張っておられる方々もいるかもしませんが。)安全を確保する基準値を大幅に緩和してまで守りたかったものは何なのでしょうか?放射能汚染がある(かもしれない)のに、子どもたちが危険にさらされる(かもしれない)のに、「予定していたことだから」と学校行事を押し通そうとする意味はどこにあるのでしょうか?

 ただ一つの答えを求めているのではありません。状況は刻々と変化します。大事なのは、失敗や恥も含めて全てをつまびらかにし、その上で皆が対等に話し合い、納得いく決定をしていくことだと思います。一人一人が自分の責任で参加し、その結果にも責任を持ちます。

 デモクラティックスクールは、その学びの場でもあります。一つひとつの小さな積み重ね――例えば、100円のスクールの備品を買っていいかどうか、〇日に見学者の希望があったが受け入れていいか、というようなことを、話し合いの場で子どもメンバーもスタッフも含めた全員にはかり、合意(反対がないこと)の上でスクールを運営していくことが、未来の社会を創っていくのだと思います。

 子どもたちは、いつも未来を向いて生きています。だから、私たち大人も、今を嘆くことなく、子どもたちと共に、未来につながる今を生きていく責任があると思います。

人生最初の完璧なしごと

長らく更新をお休みしていました。

2010年6月10日午前6時37分、次男(第三子)を出産しました。

スクールと直接は関係ないのですが、不思議な、そして妊娠中を含めて学びの多い体験だったので、この場を借りて綴ってみたいと思います。

私は第一子を緊急帝王切開で出産し、第二子はVBAC(帝王切開後の径膣分娩)を希望し、結果は吸引分娩でした。2度とも子宮の壁が薄くなっていて破裂寸前の危険な状態だったので、3人目を考えるなら予定帝王切開で、と2人目を見てくださった医師に言われていました。

それでも、帝王切開の決断をするまでには沢山の葛藤がありました。私は自然の力、自分のカラダを信じているし、三度目の正直、という漠然とした予感(希望?)があったからです。

その一方で、“カタチへのこだわりを捨て、カタチを超えたものを追求すること”、“私は2度(の出産のとき)救われたこと、そのことに感謝すること”というメッセージも受け取っていました。また、自然分娩を受け入れてくれる病院を探したり、医師や助産師と折衝したり、自然分娩できるように自分の心身を調整したり・・・自然分娩というカタチにこだわればこだわるほど、不自然なストレスが生じることに気づいていました。出産のカタチはどうであれ、一瞬一瞬を自分らしく、お腹の赤ちゃんと一緒に楽しくすごそう、そう決めたら大分楽になりました。自然とは、カタチも大事だけれど、それよりもまずココロが自然、穏やかであることだと思ったのです。

「いつ、どこで、どんなふうに生まれるかは赤ちゃんが自分で決める」と私も夫も確信していました。だからこそ、ぎりぎりまでお腹の赤ちゃんからのメッセージを明確に受け取れないまま、私が決めてしまってよいのか、という迷いが最後までありました。そうです。私たちが望んでいたのは、(自然分娩ではなく)赤ちゃんが生まれたいように生まれることだったのです。それで、「お母さんはお腹を切ることにしたけれど、もし自分で生まれたかったら、その前に出ておいでね」とずっと話しかけていました。

けれども、そのまさかが本当に起こるとは夢にも思っていませんでした。

オペ前日に入院し、窓の外から聞こえてくるさんさ踊りの練習の太鼓の音を聞きながら、「2、いえ3児の母としてやっぱり賭けはできない。帝王切開という選択で良かったのだ」と自分を納得させて眠りについた後の夜明け3時頃、お腹の痛みで目が覚めました。しばらく様子を見て、やっぱり陣痛に違いないと思い、最初のナースコールをしたのが4時。それにしても、「安静に」という当直の助産師も、6時に来て「あと2時間で手術出来ますから」という医師も、随分呑気でした。

強くなる痛みに耐えながら、挙げ句の果てに切られるなんて、酷すぎる~と思いました。自然分娩なのか、帝王切開なのか、自分をどちらに向けたら分からないのが一番辛くて、ひたすらホ・オポノポノの「ありがとう・ごめんなさい・ゆるしてください・あいしています」を心の中で唱え、なるべくしてなるように祈りました。赤ちゃんにも「もう少しで会えるね~」と話しかけていました。

そして、6時過ぎに顔馴染みの助産師さんが出勤するのを待っていたかのように、それからは一気に進みました。分娩台に上がり、「子宮口全開大なので、このまま下から産みましょう」となって間もなく、ズルッと赤ちゃんが生まれました。2626gの小さな男の子。子宮も無事で、出血量も少なく、赤ちゃんも元気でした。

まさに奇跡、実際に起こったことが信じられない、しばらくはそんな気持ちで一杯でした。隣で涼しげな顔でスヤスヤと眠っている赤ちゃんを見て、人生最初の大仕事をカンペキにやってのけたことに心底感服しました。恐らく、あの絶妙なタイミングでなければ、自然分娩にはならなかったでしょう。いくつも重なった幸運、それも全て計画済みのことだったのかもしれません。そして、天の采配に感謝し、最後まで頑張ってくれた私の子宮にもありがとう。

私は全てを手放すということを学びました。分娩台に上がったときは、一瞬、死も覚悟したので、生への執着をも(帝王切開という選択は、生への執着だったかもしれません)。“納得のいくお産”とか“満足できるお産”とかいうようなことは全部吹っ飛んでしまい、ただただ小さな命に感服しました。

お母さんの胎内に命が宿り、赤ちゃんが生まれることも、私たちが今ここに生きてあることも、すべて奇跡。お産はそれぞれにドラマがあり、きっと意味がある。だから、自分の体験を殊更に誇張するつもりはもちろん、無いのです。それでも、発振せずにはいられなくて、皆さんにお伝えします。

アミのメッセージ

余談ながら・・・

『アミ 小さな宇宙人』(エンリケ・バリオス著、徳間書店)という本に出あいました。主人公の少年が、宇宙人アミを通じて愛や宇宙の真実を知るという物語です。

3部作を夫が購入し、さくらももこさんの絵に惹かれてか、何かを感じたのか、5歳の息子も興味を持って、毎晩の読み聞かせ本になっています。

フィクション仕立てではあるものの、その内容はこの1年ほどの間に私(たち)が出あったり体験したことと、全てつながっていて、とても興味深いです。アミのメッセージは「愛がすべて」ということに尽きるのですが、それが音(夫の読む声)として部屋の中に心地よく響くのを感じています。

以前に、「デモクラティック・スクール=愛を分け合う学校」という表現を紹介しました。分かりやすく、また特定の宗教との混同や、誤解を避けるために、普段は「オルタナティブ(もう一つの)教育」や「フリースクール」と説明することが多いのですが、私の中では、未来を創造するという意味で、「愛」をベースにした学びの場・コミュニティ、という方がピッタリきます。

「愛」とは何か。

学びつづけ、行動(実践)しつづけたいと思います。

岩手のむかしばなし

余談ながら・・・

近頃、4歳の息子にせがまれて、毎日のように岩手のむかしばなしを読み語っています。お盆におばあちゃんにむかしばなしをしてもらったのが楽しかったらしく、「お話して」というリクエストに応えようというのがきっかけです。

3年前まで、私たち家族は、廃校になった山の中の小さな分校の傍にある、古い教員住宅に住んでいました。その校舎がいよいよ取り壊しになるということで、図書室に残されていた本の中から、何冊かをもらってきていたのです。その中に『岩手のむかしばなし』『とっておきのはなし』という2冊があったことを思い出し、ためしに読んで聞かせたところ、大のお気に入りになりました。

2冊とも昔ながらの語り口で書かれています。「・・・ずも。」「・・・たど。」と、たどたどしくも、岩手のことばで語ろうとするうちに、不思議とゆったりと穏やかな気持になることに気づきます。わらべうたにも通じる感覚です。

人びとが、歩くはやさで、平和に暮らしていた頃の情景が心に浮かびます。それは、そう遠くない過去であり、そう遠くない未来のことのようにも感じます。

人と動物たちとが、深い交流を持ちながら暮らしていたということを観じます。現実に何もないところに、こんなに生き生きとした物語は生まれないと思います。私も、山村で、現に生きている人の話として、キツネに化かされた話やカッパの子が生まれた話を聞いたことを思い出しました。その古い教員住宅に住んでいた頃は、毎晩のように屋根裏をネズミが駆け回っていました。

だれもが、動物や、植物や、鉱物を含めた地球の大きな家族の一人ひとりが、魂からやりたいことに思いっきり取りくみ、自分らしくありながら、お互いを尊重して共に生きる。出あいや創造の連続に、ドキドキ・ワクワクしながら、幸せに、平和に暮らす。そういう未来を創っていきたい、と強く願っています。デモクラティック・スクールは、その表現の一つです。遠くない過去、遠くない未来。そのために「今」を生きたいと思います。