« 産休のお知らせ | トップページ | 始動 »

人生最初の完璧なしごと

長らく更新をお休みしていました。

2010年6月10日午前6時37分、次男(第三子)を出産しました。

スクールと直接は関係ないのですが、不思議な、そして妊娠中を含めて学びの多い体験だったので、この場を借りて綴ってみたいと思います。

私は第一子を緊急帝王切開で出産し、第二子はVBAC(帝王切開後の径膣分娩)を希望し、結果は吸引分娩でした。2度とも子宮の壁が薄くなっていて破裂寸前の危険な状態だったので、3人目を考えるなら予定帝王切開で、と2人目を見てくださった医師に言われていました。

それでも、帝王切開の決断をするまでには沢山の葛藤がありました。私は自然の力、自分のカラダを信じているし、三度目の正直、という漠然とした予感(希望?)があったからです。

その一方で、“カタチへのこだわりを捨て、カタチを超えたものを追求すること”、“私は2度(の出産のとき)救われたこと、そのことに感謝すること”というメッセージも受け取っていました。また、自然分娩を受け入れてくれる病院を探したり、医師や助産師と折衝したり、自然分娩できるように自分の心身を調整したり・・・自然分娩というカタチにこだわればこだわるほど、不自然なストレスが生じることに気づいていました。出産のカタチはどうであれ、一瞬一瞬を自分らしく、お腹の赤ちゃんと一緒に楽しくすごそう、そう決めたら大分楽になりました。自然とは、カタチも大事だけれど、それよりもまずココロが自然、穏やかであることだと思ったのです。

「いつ、どこで、どんなふうに生まれるかは赤ちゃんが自分で決める」と私も夫も確信していました。だからこそ、ぎりぎりまでお腹の赤ちゃんからのメッセージを明確に受け取れないまま、私が決めてしまってよいのか、という迷いが最後までありました。そうです。私たちが望んでいたのは、(自然分娩ではなく)赤ちゃんが生まれたいように生まれることだったのです。それで、「お母さんはお腹を切ることにしたけれど、もし自分で生まれたかったら、その前に出ておいでね」とずっと話しかけていました。

けれども、そのまさかが本当に起こるとは夢にも思っていませんでした。

オペ前日に入院し、窓の外から聞こえてくるさんさ踊りの練習の太鼓の音を聞きながら、「2、いえ3児の母としてやっぱり賭けはできない。帝王切開という選択で良かったのだ」と自分を納得させて眠りについた後の夜明け3時頃、お腹の痛みで目が覚めました。しばらく様子を見て、やっぱり陣痛に違いないと思い、最初のナースコールをしたのが4時。それにしても、「安静に」という当直の助産師も、6時に来て「あと2時間で手術出来ますから」という医師も、随分呑気でした。

強くなる痛みに耐えながら、挙げ句の果てに切られるなんて、酷すぎる~と思いました。自然分娩なのか、帝王切開なのか、自分をどちらに向けたら分からないのが一番辛くて、ひたすらホ・オポノポノの「ありがとう・ごめんなさい・ゆるしてください・あいしています」を心の中で唱え、なるべくしてなるように祈りました。赤ちゃんにも「もう少しで会えるね~」と話しかけていました。

そして、6時過ぎに顔馴染みの助産師さんが出勤するのを待っていたかのように、それからは一気に進みました。分娩台に上がり、「子宮口全開大なので、このまま下から産みましょう」となって間もなく、ズルッと赤ちゃんが生まれました。2626gの小さな男の子。子宮も無事で、出血量も少なく、赤ちゃんも元気でした。

まさに奇跡、実際に起こったことが信じられない、しばらくはそんな気持ちで一杯でした。隣で涼しげな顔でスヤスヤと眠っている赤ちゃんを見て、人生最初の大仕事をカンペキにやってのけたことに心底感服しました。恐らく、あの絶妙なタイミングでなければ、自然分娩にはならなかったでしょう。いくつも重なった幸運、それも全て計画済みのことだったのかもしれません。そして、天の采配に感謝し、最後まで頑張ってくれた私の子宮にもありがとう。

私は全てを手放すということを学びました。分娩台に上がったときは、一瞬、死も覚悟したので、生への執着をも(帝王切開という選択は、生への執着だったかもしれません)。“納得のいくお産”とか“満足できるお産”とかいうようなことは全部吹っ飛んでしまい、ただただ小さな命に感服しました。

お母さんの胎内に命が宿り、赤ちゃんが生まれることも、私たちが今ここに生きてあることも、すべて奇跡。お産はそれぞれにドラマがあり、きっと意味がある。だから、自分の体験を殊更に誇張するつもりはもちろん、無いのです。それでも、発振せずにはいられなくて、皆さんにお伝えします。

« 産休のお知らせ | トップページ | 始動 »

よりみち」カテゴリの記事